20日、この日は春日井の医療生協のみなさんから放射能と食の安全について学習会をと要請があり、台風の近づく中、鳥居松ふれあいセンターに午前中学習会に向かいました。暴風警報が発令されていましたが、食品の放射能汚染への不安について知りたいということで10名の方がお見えでした。”福島の実家から野菜を送ってくるけれど、食べて大丈夫か不安にお思っている若い母親のかたにどのように、答えたらいいのか?”という質問。”たまに食べるぐらいは、大丈夫だと言ってあげたほうがいいですよ”と答えました。学習会が終わって帰路、松河橋を通りましたが、庄内川は、水かさがかなり増していたのを、記憶しています。
20日お昼ごろ、ラジオで守山区に避難勧告がでたということで、どの学区に出たのかと区役所に問い合わせたところ、8つの学区を教えてもらいました。瀬古や白沢学区の知り合いの方に電話をしましたが、避難勧告をまだその時点ではご存じなかった。15時には避難指示に変わった地域がありました。
21日、新聞を見て、下志段味の地域が庄内川の水が堤防を越えてパッケージ会社や福祉施設に押し寄せて、ボートで救助されたということを知りました。私は、この日、地元で放射能と食品の学習会を予定していて、中止にしたので、地元で学習会にもし来られる方がいるといけないので、コミセンで待っていました。21日、台風が静岡に上陸して関東、東北地方と通過して、被災地では仮設住宅に被害をもたらしました。
22日、守山区の下志段味、吉根地域が床上・床下浸水の被害が出ているということで、吉根地域に向かいました。用水路の水門がしめられて、桔梗平地域で用水路から水があふれて、床下、床上まで浸水する被害にあわれたのを知りました。その日にちょうど、土木事務所の所長さんが地域のYさん宅に説明にこられるということでしたので、桔梗平の町内のみなさんで公民館で話を聞くことになって、私も所長さんの説明を聞きました。所長さんは、庄内川の水位と用水路の樋門(ひもん)の水位を時系列で説明され、庄内川から用水路に逆流し始めたので、水門を閉めたという説明でした。その後庄内川の水位が下がり始めたので、水門を段階的に開けたということ。水門をしめることについて、住民のみなさんへお知らせが遅れたことについて住民の皆さんから意見が出されていました。”子どもを迎えに行っている時間にこの地域は腰のあたりまで水があった。””閉める時は広報してほしい”ということでした。
23日は桔梗平地域には守山区の社会福祉協議会の皆さんたちがボランテイアに入られて、床下の水のくみ出しや側溝の清掃活動に大勢ではいっておられました。私は、この日午後は、共産党の井上哲国会議員と名古屋市議団が下志段味と桔梗平地域に視察調査に来られたので、同行しました。
下志段味の庄内川の氾濫は、東海豪雨をうけて堤防工事を国がすすめてきたわけですが、その工事がまさに実施されようとしていた前に、台風が来て、遅きに失したというものでした。
桔梗平地域は、庄内川堤防の内側にある水門で庄内川からの逆流を防ぐために水門を閉じたために、用水路の水があふれて被害が発生しました。この地域のみなさんが安心して住めるような抜本的な対策が必要です。住民のみなさんからは、堤防のかさ上げ、ポンプ所の設置、水門を閉める時にサイレンを鳴らしてほしいという要望が出されています。こうした要望を名古屋市に要請していきたいと思います。
(ブログが毎日書けなくて、ごめんなさい)
最近のコメント