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2011年6月26日 (日)

放射能から子どもを守るには

福島の人たちは、いつになったら住み慣れた故郷に帰れるのか?子どもたちは外で遊べない。こんな状況を引き起こした原発は本当にすみやかに止めて、使われている放射性物質、使用済み核燃料を安定した状態にしないと。ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキ、ノーモアフクシマ。福島原発の収束にむかって、原子力関係の科学技術者・研究者の知恵を集めて対応してもらいたい。福島原発の被災者への生活の補償を速やかにやってもらいたい。

放射能について、東電も国も私たちが知りたい情報を出さないから、自ら、放射線の測定を福島県や東京で行っている。どれぐらいの放射線が出ているのか、被曝量はどれだけなのか?

放射線の人体への影響には、どれだけの放射線をどれだけの時間受けるのかそれを計算する必要がある。国際機関のICRPが、1年間に一般の人が浴びる放射線の被ばく限度は1ミリシーベルトまでとされてきた。これに対して、福島の小学校の校庭利用で政府が年間20ミリシーベルトを上限にしたことに、福島市の父母が抗議をしたのです。

福島県では、希望者の外部被ばくと内部被ばくを合計した数値の調査と健康調査を行うことになった。当然のことでしょう。

食べ物などからの内部被ばくが問題。国の食品の残留放射能の基準は、基準値いっぱいの食品を毎日食べるとセシウムの被爆は5ミリシーベルト。

やっぱり食品の検査をしっかり継続して行い、基準値以下でもどれぐらいの放射能なのか知ることができるようなしくみをつくり、情報公開をすべきだと思う。

名古屋市は食の安全安心情報(http://www.shokunoanzen.city.nagoya.jp)

で市内の流通食品の検査結果を公開している。検査件数は少ないけれど。

放射能の影響をうけやすい、子どもたちの内部被ばくが心配ですね。

神経質になりすぎてもいけないけれど、食品の放射能について、注意しながらも、バランスの良い食生活に気をつけて、放射線で遺伝子に傷がついても、修復できる力、免疫力を高めることも大事だと思います。Photo (写真は、新守山駅で原発をなくそうと署名・宣伝をしているようす)

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2011年6月14日 (火)

原発はすみやかになくそう!

6月11日開かれた「原発なくせ」の行動。東京日比谷は2万人。あいちは、主催者発表800人。前回母の日の卒原発パレードより少なかった。でもやっぱりこどもづれのママ・パパ、若い人が多かったです。”くれまつさんですか”と守山から前回に続いて参加したという私より少し先輩の女性も見えました。”どうしてもっとみんな原発の怖さを考えないのか”という声。20110611kodomo ”原発をやめて、自然エネルギーに転換しよう”と呼びかけて、栄の街中を歩きました。中電前では、右翼とも思われる方がたが、”核武装せよ、原発推進、中電を守れ”などど行進している私たちに向かって日の丸をかかげて叫んでいました。本当に異様な感じ。

ドイツは2022年までに原発を廃棄すると決めました。そして自然エネルギーの比率をどんどんあげていく。イタリアも国民投票では反原発が多数に。

日本も原発をすみやかになくそう!共産党が本日、5から10年以内に原発ゼロをめざす提言を発表した。今回の事故が明らかにしたものは何だったのかと志位さんは問いかけている。原発事故がおきれば放射性物質が外に放出されてそれを抑える手段はなく、被害が空間的にも時間的にも、社会的にも限定できない異質の危険な事態をまねくことになった。そしてそれに対する国民の不安が広がっている。  その通りだと思う。

「原発は未完成な技術です。原子力エネルギーを取り出すときに、莫大な死の灰ができる。100万キロワットの原発では、広島型原爆1000発を超える死の灰ができる。」・・・提言より引用。

福島の人たちは、住む場所を奪われ、いつもどれるのかわからない避難生活をしいられている。

もう少しはなれた地域のこどもたちは、元気よく外であそべない、放射能からの被爆をおそれながら、暮らしている。

事故を一刻も早く収束させて、放射能被害の拡大をくいとめ、子どもたちをはじめ国民の健康被害を抑えるためのあらゆる対策をとる必要があります。

原発をなくす方向にむかって、国民の皆さんと討論をよびかけた今回の提言を、みなさんに広げていきたい。

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2011年6月12日 (日)

原発はゼロに!

大震災から3カ月の6月11日。全国では脱原発100万人行動がとりくまれた。

日本共産党守山区委員会として、原発をなくそうと、原発からの撤退をもとめる署名宣伝行動、震災募金を訴える行動を計画し、午前11時から12時までの1時間、小幡駅前で女性3名、男性1名でとりくみました。

土曜日の小幡駅まえは、人通りはあるものの、署名は今一つ集まらず。浜岡原発は活断層の上にあって、津波対策をとったとしても、地震で断層が動けば、福島と同じような事故が発生する可能性が高いと訴えても、反応が今一つ。

被災地に名古屋市のボランテイア支援に参加したU君が作った被災地の写真パネルで今なおがれきが片付かない惨状を報告。募金をしていただいた方には、震災おりづるを渡しました。募金は1730円。20110611syomei

来週から、駅頭で夕方、原発ゼロの署名と募金活動に取り組む予定。わかりやすいチラシをつくろう。

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歴史ある守山の平和行進に参加

核兵器廃絶を訴えて東京から広島まで平和行進が行われています。

6月9日は瀬戸から尾張旭、そして守山区まで歩くあいち平和行進が行われ、私は守山区の大森東島公園から瀬戸街道を西に向かい、自衛隊前までを歩きました。

今年は大震災発生・福島原発の事故が起きて、4たび被爆者発生させてしまった中で、原発をなくそうという思いもこめられた行進になりました。

20110609higasijimasenntou 20110609higasiimakouen 核兵器の全面禁止を求める声は大きくなりつつある一方で、菅政権はアメリカの核の傘の中での日本を位置付けています。被爆国の日本が核兵器のない世界をめざすためには、核抑止力論から抜け出さなければならない。

そんな思いをこめて歩きました。

自治体を表敬訪問する役目をいただき、平和行進の通し行進者のかたと大島良満さんと4名で守山区を表敬訪問しました。事前に守山区長さんに是非行進が通りかかった際に激励をいただけないかとお願いをしておきました。区長さんは当日は会議等で参加していただけませんでしたが、核兵器は反対だ、廃絶すべきだとい考えだということを総務課長さんからお聞きしました。平和行進のペナントを3本職員のポケットマネーで購入していただけました。20110609heiwakousinhoukoku_5_2 20110609syadouaruku

今回、初めて平和行進に参加した青年が、”もっともっとこの行進そのものが普通の人は知らないから”などと言っていました。

沿道のお店のみなさんにカンパや核兵器廃絶をもとめる署名をお願いしました。

この日1日で署名が470筆、カンパは76174円集まったと終結集会で報告がありました。カンパ隊のみなさんごくろうさまでした。

通し行進者の石崎さん、これから雨と暑さの中で大変ですが、がんばってください。

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2011年6月 5日 (日)

新・市立病院改革プランは守山の市民の意見が反映していない

5月末に名古屋市の市立病院改革プランが明らかになった。

昨年の11月議会で、私は、守山市民病院を公営できちんと守り充実すべきと質問してきた。河村市政になって市立病院の縮小路線がいっそう推進されている。城西病院は赤字で、利用者が減少しているからとこの4月から民間売却。緑市民病院は来年度から指定管理者制度に移行。守山市民病院も医師をきちんと確保しないままに、病床を減らして、医療体制を縮小している。

今年度からの市立病院改革プランでは、2つの医療センターと守山市民病院、緑市民病院は指定管理制度、そして名市大病院が連携していくとある。守山市民病院は内科を中心とした高齢者にやさしい病院と特徴づけながら、市立病院全体の中で抜本的な見直しするとある。これは、廃止とか、指定管理制度導入などをめざしているようだ。新しい改革プランに対するパブリックコメントは大多数が守山市民病院について総合病院として充実を求める声だった。こうした市民の声が全く反映しない、市民の声を聞き入れようとしない改革プランでは、市立病院の改革にはならないのではと思う。

埼玉県のわらび市では、革新市政でよりたか市長のもとで、改革プランがつくられて、病院が黒字になったと赤旗しんぶんに報道されていた。病院の規模が違うからと言われるかもしれないが、”市民の健康を守り、地域に根差した市民に愛される病院となります。”とわらび市の改革プランには記されていた。これに比べて、名古屋市のプランはどうか。”選ばれる病院”では市民と病院が離れていると思う。

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